イン戦速攻が持ち味の走る選手会長上瀧和則選手の経歴,プロフィールまとめ

走る選手会長上瀧和則選手プロフィール

登録番号 3307
生年月日 1968/05/20
身長   165cm
体重   58kg
血液型  A型
支部   佐賀
出身地  佐賀県
登録期  60期
級別   B2級

1968年5月20日、佐賀県佐賀市大和町に生まれる。

10歳の時に父親に連れられて唐津競艇場でレースを観戦し、競艇選手を志す。
佐賀県立佐賀商業高等学校中退後、本栖養成所に入所し、1987年3月に卒業(60期)。同年5月に唐津競艇場でデビューし、6月に初勝利を挙げる。
デビューから半年でB1級、さらにその半年後にA級に昇級[2]。1989年には年間最優秀新人に選出された。
スタートの良さに定評があり、イン戦速攻を得意とする。
過去のSG4勝は全て1コースからの勝利である(逃げ3回・抜き1回)。
徹底したイン取りや冷酷なまでのレース内容から付けられた愛称は、「非情のワイルドボーイ」。

2011年3月17日に日本モーターボート選手会の副会長に就任したため、4月以降のレース斡旋を全て辞退している。
その後、2012年6月26日に選手会長に就任。
選手会役員に就任した選手はレースに出走しないのが通例だが、選手会長在任のまま2014年8月14日から唐津競艇場で行われたお盆特選競走に出走し、約3年5ヶ月ぶりにレースに復帰し、準優出4着という結果となっている。

走る選手会長の誕生!!上瀧和則選手

日本モーターボート選手会の上瀧和則会長(51歳)が、選手会長をそのまま務めながら現役に復帰が決まった。

上瀧会長は選手会副会長就任のため、2011年3月の地元唐津を最後に現役を退き、翌2012年6月に会長に就任。
4期、8年間にもわたって会長職を務めあげてきた。
今年の役員改選では非常勤の会長、すなわち現役復帰を宣言して会長に立候補。対立候補が不在だったので無投票で会長続投が決まり、宣言通りに5月11日の下関一般戦からの現役復帰が決まった

過去に、上瀧会長は2014年8月の唐津お盆レースと2015年大みそかから2016年にかけての大村正月レースと、2節ほど実戦に復帰したことがある。
この2節はあくまでもピンポイントの復帰だったが、今回は違う。
下関の後は6月1日からの丸亀一般戦にもすでにあっせんが入っており、半年間で8節ほど走る予定。
史上初となる「走る選手会長」の誕生というわけだ。

上瀧会長は以前から、「他のプロスポーツのように、この業界も選手会長は現役選手がやるべき」という考えを持っていた。
これまで選手会長を務めてきた野中和夫、黒明良光、福永達夫各氏らは事実上の現役引退と同時に会長就任という流れ。
そういう意味ではまだ現役バリバリだった上瀧の会長就任は異例中の異例だったが、上瀧会長がついに現役復帰に踏み切ったのは、今後も現役バリバリの選手がレースから離れることなく会長に就任できる流れを作るためでもある。

さらに、126期で5月13日の唐津でデビューする息子の絢也選手との親子対決も楽しみである。

走る選手会長上瀧和則選手の経歴,水神祭

  • 1987年(昭和62年) 登録番号3307の60期生として唐津でデビュー 翌月に芦屋で水神祭
  • 1989年(平成元年) 芦屋で初優勝
  • 1991年(平成 3年) 唐津周年記念でG1初優勝
  • 1996年(平成 8年) 福岡SGボートレースダービーでSG初優勝
  • 1998年(平成10年) 宮島SGグランドチャンピオン優勝
  • 2004年(平成16年) 尼崎SGオールスター優勝
  • 2005年(平成17年) 芦屋SGチャレンジカップ優勝
  • 2010年(平成22年) 大村九州地区選手権など年間優勝6回
  • 2012年(平成24年) 公益社団法人 日本モーターボート選手会会長に就任

走る選手会長上瀧和則選手のエピソード

イン屋の典型で、何号艇であろうと相手が誰であろうと1コースを取りに行く。
最低でも2コースには入る。
余程のことがない限り、回り直しをしたとき以外は外側のコースを選ぶことは無い。
理想の勝ち方は、「外枠から前付けして、80まで流れ込んでもインから逃げ切ること」。

コース取りには妥協を許さない上瀧だが、同期の選手相手だと無理にコースを取りに行かない事もある。

後輩の面倒見が非常によく、九州の選手から非常に慕われている。
2005年11月の第8回競艇王チャレンジカップで優勝後、福岡支部の瓜生正義と抱き合った(上瀧の優勝で、瓜生は賞金ランキングギリギリの12位で賞金王決定戦競走の出場権を手に入れた)。
フライング休みの後輩選手を海外旅行に連れて行った事もある。
旅行費用や土産代まで全て上瀧自身が賄っている。

植木通彦とは新鋭時代からのライバルであったがF渦に陥る(一時期はF3を犯して事故率オーバーとなり自動的に最低ランクのB2にまで陥落)うちに大差をつけられた。
しかし、SG初制覇となった第43回福岡全日本では宿敵・植木を艇史に残る接戦の末に競り落として宿願のビッグを掴み取っている

2007年、戸田競艇場で行われた第17回グランドチャンピオン決定戦の2日目・予選競走第11レース中に西島義則と接触して転覆。
救助艇に乗っても動かない為「死んだのでは」と言われた。
地元水面の唐津を得意にしているが、芦屋との相性が抜群に良い
初1着・初優勝をはじめ、SG(先述の第8回競艇王チャレンジカップ)や記念レース(1993年に開設41周年記念・1995年に施設改善記念・2004年に第50回九州地区選手権とGIを3勝)でも実績を残している。
2010年12月8日、大村・第57回九州地区選手権を制して通算優勝回数を80回としている。
2012年12月9日放映のテレビ番組「ほこ×たて」にインタビュー出演している。これはロケが碧南訓練所で行なわれた関係で、上瀧は選手会会長として出演した。

※wikipediaより引用

走る選手会長上瀧和則選手の直近の出場予定

  • 2020/06/01~2020/06/05
    ボートレース丸亀 四国新聞社杯