毒島誠選手が紺綬褒章を受章!!被災地の災害復興への寄付などの功績が認められた

4238毒島誠選手が紺綬褒章を受章!!
被災地の災害復興への寄付などの功績が認められる

登録第4238号毒島誠選手(群馬)は、令和2年5月30日に紺綬褒章を受章し、9月1日に褒章伝達式が行われました。

毒島選手は、自然災害が発生する度に被災地のためにと獲得賞金の一部を日本財団「災害復興特別基金」に寄付を続けた功績が認められ、この度、国土交通大臣から推薦を受け、閣議決定を経て5月30日付での紺綬褒章授与が決定しました。

褒章伝達式は、公益財団法人日本財団にて行われ、日本財団笹川陽平会長より、紺綬褒章が毒島選手へ伝達されました。

4238毒島誠選手が受賞した紺綬褒章とは

褒章(ほうしょう)は、日本の栄典の一つ。

社会や公共の福祉、文化などに貢献した者を顕彰するため、天皇から対象者に授与される。
顕彰の対象となる事績により、紅綬褒章、緑綬褒章、黄綬褒章、紫綬褒章、藍綬褒章、紺綬褒章の6種類が定められている。
授与の対象者は、日本国籍を持つ個人のみならず、外国人および法人を含む。

今回、4238毒島誠選手が受賞したのは紺綬褒章である。

紺綬褒章(こんじゅほうしょう)は「公益ノ為私財ヲ寄附シ功績顕著ナル者」に授与される。

1918年(大正7年)に創設された(大正7年勅令第349号)。
1919年(大正8年)9月7日、恩賜財団済生会に5万円(平成27年現在の価値で1億5千万円相当)を寄付した功により賜与された小野光景が受章第1号である。

紺綬褒章は他の褒章のように受章機会が春秋のみに限られず、事由の発生に合わせて毎月末にまとめられ閣議で決定され発令される。
同一人物が複数回受賞することも可能であり、叙勲・褒章などの受章回数でギネス記録に認定された古賀常次郎は紺綬褒章を60回以上(金色飾版12個)受章している。
1980年(昭和55年)の授与基準では、公的機関や公益法人などへの500万円以上の寄付をした個人、1000万円以上の寄付をした団体が主な対象となる(受けた団体から所管官庁宛てに上申―「この方は褒章を受けるに相応しい事を私共にして下さったので授与して頂きたい」という申し出―がされる)。
ただし、返礼品の類を受け取った場合は対象とならない。
寄付が1500万円以上の寄付者になど多額に上る場合には、併せて賞杯(桐紋付きの木盃)が授与される。
なお、1947年(昭和22年)から1964年(昭和39年)は10万円、1964年(昭和39年)から1980年(昭和55年)は100万円が授与の基準であった。
寄付額の改定に際しては、数年間は中間の額を設定するなど、移行暫定期間が設けられることもある。

毒島誠選手プロフィール

毒島誠
登録番号 4238
生年月日 1984/01/08
身長   163cm
体重   53kg
血液型  B型
支部   群馬
出身地  群馬県
登録期  92期
級別   A1級

勝率 7.71 2連対率 55.30%
3連対率 71.42% 出走回数 112回
優出回数 6回 優勝回数 2回
平均スタートタイミング 0.15 フライング回数 0回
出遅れ回数(選手責任) 0回 能力指数 73
1着 33.0%(37回) 2着 22.3%(25回)
3着 16.1%(18回) 4着 9.8%(11回)
5着 8.0%(9回) 6着 9.8%(11回)

奥さんは元競艇選手の池田幸美さんで、師匠は江口晃生。
具体的にいつ頃か…というのは定かではないですが、池田美幸さんが引退したのが2009年なので、この前後ではないか?と言われている。

優勝経験は無いが、1998年にデビューし、引退した2009年までの間で、通算勝利回数が150勝と活躍した競艇選手だった。

競艇選手になったきっかけは、市選抜に選ばれ優秀賞を獲得するなど、若いときはサッカーをしており、運動神経は優れていた。
そんな折、桐生競艇場に見に行った時に、自分もボートに乗ってレースをして勝ちたいと思ったこと、そして小さい身体が有利のスポーツだからということから始めたそうである。

キャッチフレーズはポイズンキラー

2013年の賞金王決定戦ではポイズンキラーのキャッチフレーズを貰い出場を果たす。
由来は恐らく毒島という苗字から来ているとは思うが、自分自身をキラーしてしまうという少し変わったものである。

また、NGT(ニュージェネレーション軍団)と言われている
90期以降のやまと世代で且つ、G2以上のタイトル保持者達の総称をニュージェネレーション軍団と呼んでおり、毒島誠もこのメンバーの一員となっている。

銀河系軍団に対抗する一大勢力として、今なおその活躍が続いており、その名の通り新たなる競艇界を作る次世代グループと言える。
ちなみに第三勢力として、2015年には西山貴浩率いるくせ者軍団というのも結成されていて、所属メンバーに山口、池永がいる。
かくいう西山も97期で、2018年4月15日にはG2モーターボート大賞〜昭和VS平成〜で優勝をしている事から、彼もまたニュージェネレーション軍団と言われるようになってしまうのではないか?と思う。

毒島誠選手の水神祭-遍歴-

  • 2003年 5月9日の桐生競艇場の 一般2Rで初出走した。
    2003年7月20日に多摩川競艇場の1Rで初勝利を飾った。
  • 2005年2月7日に多摩川競艇場で 一般 第10回ダブル優勝TVKカップ 12R 初優出した。
  • 2006年9月27日鳴門競艇賞第18回鳴門市長杯競走12Rで初優勝を果たした。
  • 2007年1月23日で大村競艇場でG1共同通信社杯第21回新鋭王座決定戦でG1初出走をした
    2007年1月26日で大村競艇場G1共同通信社杯第21回新鋭王座決定戦 7R G1初勝利を果たした。
  • 2008年1月27日で丸亀競艇場G1共同通信社杯第22回新鋭王座決定戦競走 12R G1初優出をした。
  • 2010年 1月24日で浜名湖競艇場G1共同通信社杯第24回新鋭王座決定戦 12R G1初優勝を果たした。
    2010年5月25日で浜名湖競艇場でSG第37回笹川賞1R SG初出走をした。
  • 2010年7月14日で丸亀競艇場SG第15回オーシャンカップ競走SG初勝利した。
  • 2012年7月8日で鳴門競艇場第38回日刊スポーツ杯競走500勝達成した。
  • 2013年 7月28日で若松競艇場SG第18回オーシャンカップでSG初優出をした。
    2013年9月 1日で丸亀競艇場SG第59回モーターボート記念競走 12R SG初優勝を果たした。
  • 2018年7月23日で平和島競艇場G1開設64周年記念トーキョー・ベイ・カップ1000勝達成した。
  • 2019年7月24日で若松競艇場競艇場西日本スポーツ杯50優勝達成した。
万事屋
2020年9月3日現在、賞金ランキング 12位獲得賞金 57,278,000円となっている。

2020年グランプリも十分に出場を狙えるポジションとなっている。